コメント、トラバのいやがらせは、どうも思ったよりも深刻なのかもしれない。
ブログはまあ疲れたと感じたら、しばらく休めば良いだけの事だが、続けたいのにそれに屈して、そうしたことは、何とか防ぐ仕組みを考えなくてはならない気がする。
これは、嫌がらせの口実にさえ、厚かましく言って来る、言論の自由、それ以前の極単純な、決してしてはならぬ事をみすごすことになるからだ。
心ないコメントの持ち得る暴力性は、現実にもよくある男→女のそれを想像するなら、誰にも容易に理解出来よう。
コメントの往復による交流は、常に相手に受け入れられうるもので無いなら、なりたちはしないのだ。
これは同性関係、興味また主義主張が相違しようと変わる事ではない。
これに外れる類に真剣に答える理由などありはしないのだ。
コメントTBの開放性を逆用する、自称ネトウヨなぞは、汚水溜にウヨウヨ低度の手合いだ。主義の思想のはこじつけだ。
絡み付きたい相手なりの痴識をひけらかしているだけでしか無い。
彼等は誰彼なしに攻撃する。現在はたいていのブログで可能な、コメントTBの制限を随時活用しながら、無視し、削除。人のそれに気付けば支え励まし、これが最良の対処法だ。