事実が何処にあるのか、それは実は当事者しか判らない。裁判はある枠組みの中で、一つの判断をするに過ぎない。当否どちらかは神のみぞ・・とまで言うのは失礼かも知れないが。
刑事裁判では、被告側は圧倒的に不利だ。まず無罪が確定するまでは、身柄を拘束されるる。無実であるとしてそれを証明するのは全て弁護士に託するしかない。
強制力を持たない弁護士が、警察、検察に対抗する立証をするのが困難なのは誰にも判るだろう。国選私選どちらにせよ、その為に支出される金額は桁違い、それも二桁三桁も違う。
警察検察は、公務員としての業務だから、必要とされれば支出は無制限と言っても過言では無い。
良く未解決事件で時効、そんなとき延べ何万人の捜査員・・の報道がある。総費用は億単位の金額だ。
被告側はどう見ても一千万円程度が限度だろう。そもそも真偽を争う手段が全く比較しようもなく違う。
起訴されれば、無実であって、もそれを犯人を明らかにすると言う、ある一定の先入観(だから悪いとは言わない)で作られた、証拠を基盤に争い、証明できるのは、余程の幸運としか言えないだろう。
許し難い誤りが、その責任を問われるのは当然なのだが、そこにだけ社会資源を注ぎ込み、最近は改善の方向に向かってはいるが、被害者、親族の援護は二の次。
この現状では、裁判制度が、社会の報復の気分を正当化する意味しか果たしていないと言える。
司法の枠を越えるが、まず被害者、そして家族の全面的な援護、生活保障、受けた傷、痛みの回復。
ここを出発点にすることが、あるべき姿では無いだろうか。
いま導入されようとする裁判員制度は、短時間の裁判の為に(裁判員の拘束期間を短くするだけの目的で)膨大な捜査資料の極一部だけで争い、終了を図ると言う、安上がりな見せしめ裁判に、国民を無理矢理引き込む、それ以外であるだろうか?
上告断念を正式表明、無罪が確定 福岡高検 佐賀・北方3女性殺害事件
佐賀県北方町(現武雄市)の三女性連続殺人事件で、福岡高検は2日、3件の殺人罪に問われて死刑を求刑された会社員松江輝彦被告(44)を一審の佐賀地裁に続いて無罪とした3月19日の福岡高裁判決について、上告を断念することを正式に発表した。上告期限の3日午前零時、被告の無罪が確定する。
記者会見した高井新二次席検事は「判決を検討し、最高検とも協議した結果、憲法違反や判例違反などの上告理由が見いだせない」と説明。被害者や遺族に対して「真相解明に至らず申し訳ない」と陳謝した。
取り調べの違法性を厳しく指摘されたが、これに関しては「真摯(しんし)に重く受け止め、今後の糧として適正な捜査に努めたい」と述べた。一方で「起訴当時は証拠に照らして有罪立証ができると判断した」と言い、起訴自体に問題はなかったとの認識を示した。
高裁判決は、三女性殺害を認めた被告の上申書について「令状主義を逸脱する違法性の高い取り調べで収集された。違法捜査抑止の観点から排除すべきだ」とし、一審同様、証拠採用しなかった。その上で「決定的な客観的証拠は皆無。この程度の証拠で有罪とすることは刑事裁判の鉄則に照らしてできない」として無罪を言い渡していた。
最高裁によると、統計が残る1978年以降、死刑求刑事件が1、2審とも無罪になり、判決が確定するのは初めて。
2007年04月02日20時19分 西日本新聞