2007年04月15日

「英語子育て」はちょっと

  テレビらしい切り口だが、英語子育てのカリスマ主婦という人が、少なからずいるらしいのを、検索中眼にした。

 英語に限らず、早期教育に入れ込む親は多いのだが、実はこれはかなり怖い。
 まともに教育に取り組む、ある程度経験を重ねた人間なら、営業上は別にすれば、それを肯定する人はいたって少ない。
 ただ、それも不思議と我が子だけは適用除外になるのだが(笑)。

 以前の住まいの隣に、九官鳥が飼われていた。
 何と!車のエンジン音、バックブザー、誘導する人の声までそっくりに真似するのだ。ある日曜その声に騙され(笑)、覗くと車の姿は無し。そんな事があった。
 カラスも喋りもするし、チンパンジーは道具を使う。

 幼児の早期教育で、親がにんまりする、驚異的な成長は実はその程度のものなのだが、子育て期の親にはそこまでが実感として判らず、子供の可能性を拓き、めざましい未来の保証のように錯覚してしまう。
 そして、そこにつけ込む教育産業が、過熱を煽る。

早期教育は、うまくすれば大学受験、就職試験までは結果を残すだろう。
 しかしその先は?こそが大事な問題なのだ。
東大京大辺りの教員でも、入学者が試験こそくぐり抜けたが、その先の自ら学ぶ意欲、それを持続させる力を殆ど学生が持っていない、そんな事をしきりと口にする。知的潜在力を大学入試までに使い果たしてしまっているのだ。

 特に言葉の獲得、習得はまず母語を確実にしてからでないと、言語能力は”優れて”いても、精神的に分裂した自我形成になりかねないので、外国語教育は子供の遠い将来まで見通した上で、年齢に合わせた量に充分配慮すべきなのだが、目先の成果に気を取られる若い親には、やり過ぎやらせすぎ、に気付くゆとりが無い。
 学校に入れば、成績評価で「目に見え」て来るので尚のこと。

 目先の「知的」成長を過剰に期待するより、猿山の子育て、子育ち。生物として自然な成長の過程を踏むことが、無理のない個性の形成になることに眼を向けて欲しいものだ。
posted by じゅん at 13:22| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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