だが今言われるあれこれは「・・・が判りました」「当局は・・・と見ています」そうした捜査当局の経過情報でしかない。
例によって最早「犯人」だ。いや捜索着手の時から、それまでの時代の寵児と持て囃したのを一転、石を投げ始めていた。無論それはマスコミの事だが。
だが今言われるあれこれは「・・・が判りました」「当局は・・・と見ています」そうした捜査当局の経過情報でしかない。
古い事だがロス疑惑事件の頃から、捜査当局のリーク情報を更に増幅して「事件」像を作り上げることが当たり前になってしまった。(ロス疑惑は文春がどんな正義感からか、火を焚きつけ続けたが。)
報道の名の下に、裁判前であるのだから、当然一方的な捜査情報を、民法3キー局がニュース”情報番組”で十回と言わず反復して、事件像を確定してしまう。
その全てとは言えないが、公判段階に至るとそのあれこれが根も葉もない憶測に過ぎなかったことも希では無い。
こうしてこの二十年近く日本は事件を体験し、世論が形成されるの見過ごしてきた。このスタイル創られた世論の力が小泉政権の圧勝をもたらした。
今経団連奥田会長が「倫理観に乏しい経営は・・」とインタビューに答えている。トヨタに倫理観に基づく労働者管理は有るのだろうか?
いずれにせよこれで、特捜部は目出度く、耐震構造疑惑を政界へと絞り上げる人的ゆとりを持てなくなった。
社会的政治的には、こちらこそ遙かに根深く広がりを持った問題なのだが。そして米国産牛肉の再禁輸により、小泉政権は対米強硬姿勢のポーズがとれるのだ。
ライブドア追究が何故今?それを追究する報道は何処にも無い。