確かにテレビの映す”事実”それ自体は現在の所まず現実の記録と言える。
しかし民主党岡田議員の「のりこさん発言」は後刻音声は消去された、こうした例も希にはあるが。
だが、カメラは生起した事実の全てを撮すか、誰であれ答えは否だろう。
そして編集、ここで事実の情報量は大幅に減じられる。これは何も目的意識を持っての操作を言うのでは無く、単に時間枠に収める、その意味で。森田実氏はこの辺りに何らかの外力を常に指摘されるし、ぼくもその可能性は常に考えるのだが、確証は無い
実妹は「きっこのブログ」では放送の内容に不満を漏らしている。恐らくは放映ビデオの確認の上の了解まではせぬだろうから、内容は普通に考えれば、取材者の当時の印象による編集の結果、まあそうも言える。
状況の変化で常にゆれる人間の意識、それは含めれば、インタビュービデオの印象とブログ上のメール、その食い違いにのみ着目した矛盾の指摘、それはやや急ぎすぎとは言えまいか。
今のところテレビが、映像までを全く創作してしまった実例は多くはない。しかし再現映像とする、陳腐らしさの演出は普通になった。もう少し技術が進めば、経費上からCGによるニュース映像も恐らく出現するだろう。
そうでなくとも”情報過剰”の今、それを消化するさえ時間の無い我々が、映されたものの、外の在ったことの全てにまで、思考を巡らして判断をする、それは著しく困難な事なのだが、切り取られた表現の反復である、テレビメディアにとらわれぬ現実認識を持つ道は他にない。
それは際だって影響力の顕著なテレビにとどまらず、あらゆる媒体からの”情報の”受容についてもなのだが。



本当のところは分かりませんが、制作者は相互作用で中和されるとしているように思えます。
確かに映される映像自体は事実、しかし時間的に前後に何が?カメラの視野の外はわかりません。テレビでこうだったの議論は要注意に思えます。