2006年04月10日

もう御用済みだが「新しい歴史教科書を作る会」の史的役割?笑

 去年他のブログで下のような事を書いた。先頃の作る会の内紛?は、検定制度の別働隊としての役目を、日本書籍の倒産で充分に果たし、あらゆる教科書の「作る会化」を達成し、最早御用済みとなった故それが底流にあるように思う。新しい歴史教科書「つくる会」の主張  西尾幹二編 2001.7.20 徳間書店  P3より
「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。」

これが彼等の歴史観?である。対外的な歴史認識の偏頗にのみ注目が集まるが、欠陥の根は更に深い。彼等は根っからの(女性)差別主義者、それ以外の何者でもない。公教育に介入する資格など全くありはしないのだ。
 半世紀ほど前、農村で誰よりも早く起き、誰よりも遅く寝て、切れ目無く長く働き、家族の誰もが入浴した後に、冷めた垢で濁った風呂に(あるとしたら)入るのが当たり前、一円の金さえ自由に出来ない、いや持つことさえ出来ないのが女性であった。これは特有の幸福か? 
 特に農村部に限ってのことでは無い、新憲法下の男女同権平等は、未だ決して達成などされてはいない。表面的な「強い女」冗談は、消費基盤の拡大のために、それまでの家族単位の消費構造から、子供女性を析出させた結果であって、根本的な男尊女卑の構造に変化などは無い。
 その、人によっては帰りたくてたまらぬ黄金郷、そこに回帰するのを願う、それを敢えて選択する退行、杉並区教委の決定は、他に他に評しようはない。


 <以下加筆>
 さらに言うなら、かれらがこの奇妙な”歴史観”を教科書として世に問うほどの普遍性があるとするなら、それをして中国、朝鮮人民民主主義共和国の書いて見れば良いのだ。
 東方紅の毛主席を賛美し、金日成首領様の神聖化と、その下での両国人民の「それなりの幸福」を詳述せねばなるまい。それを我が?誇るべき皇紀2600年とどの様に整合させられるのだろうか?
 個別の記述の誤謬以前に、歴史観と言うに足る何者も無い、ただ我が事のみ善しの、神話にさえ無い迷信を、敢えて出現させた文科省の意図が、どこにあるかは言うまでもない。
 歴史教科書を廻る問題は、こうした事実の虚実、記載非記載より以上に、「本質的な問題は、どう書かれているか、だ。」と教科書文法から、官僚文法に繋がる政治=統治の無責任体制への批判的視点を提出した、

南京虐殺は「おこった」のか―高校歴史教科書への言語学的批判
ISBN:4480857621
161p 19cm(B6)
筑摩書房 (1998-11-25出版)
・バーナード,クリストファ【著】〈Barnard,Christopher〉・加地 永都子【訳】
[B6 判] NDC分類:210.7 販売価:\2,415(税込) (本体価:\2,300)
歴史教科書論争への新しい視点。
本質的な問題は、どう書かれているか、だ。
「意味の文法」をツールに、南京虐殺・太平洋戦争開戦・降伏をめぐる全高校歴史教科書の文章を言語学的に分析し、その偏向性を立証する。
画期的な批判。
第1章 序論
第2章 南京虐殺
第3章 ドイツの攻撃と日本の攻撃
第4章 イタリア、ドイツ、日本の降伏
第5章 結論


 の解明した点にこそより深い根を持っている。
 是非ご一読を勧めます。
posted by じゅん at 22:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
現会長の津島の出自の宗教団体「キリストの幕屋」が、なかなかカルトという雰囲気もあります。しかし、それがテレビ番組枠を持ち、「日露戦争万歳」のような話を垂れ流しているらしいです。作る会の行動には、未だ一ひねりあるのでは、と危惧しております。上記の本の著者は、実は「イザヤ・ベンダサン」?と同じく日本人なのでしょうか?
Posted by nori_px at 2006年04月11日 22:02
いえカナダ人?だったかと思います、本当に面白いです。そうもう一働きはあり得ますね、不愉快ですが。
Posted by じゅん at 2006年04月11日 22:35
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