「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。」
これが彼等の歴史観?である。対外的な歴史認識の偏頗にのみ注目が集まるが、欠陥の根は更に深い。彼等は根っからの(女性)差別主義者、それ以外の何者でもない。公教育に介入する資格など全くありはしないのだ。
半世紀ほど前、農村で誰よりも早く起き、誰よりも遅く寝て、切れ目無く長く働き、家族の誰もが入浴した後に、冷めた垢で濁った風呂に(あるとしたら)入るのが当たり前、一円の金さえ自由に出来ない、いや持つことさえ出来ないのが女性であった。これは特有の幸福か?
特に農村部に限ってのことでは無い、新憲法下の男女同権平等は、未だ決して達成などされてはいない。表面的な「強い女」冗談は、消費基盤の拡大のために、それまでの家族単位の消費構造から、子供女性を析出させた結果であって、根本的な男尊女卑の構造に変化などは無い。
その、人によっては帰りたくてたまらぬ黄金郷、そこに回帰するのを願う、それを敢えて選択する退行、杉並区教委の決定は、他に他に評しようはない。
<以下加筆>
さらに言うなら、かれらがこの奇妙な”歴史観”を教科書として世に問うほどの普遍性があるとするなら、それをして中国、朝鮮人民民主主義共和国の書いて見れば良いのだ。
東方紅の毛主席を賛美し、金日成首領様の神聖化と、その下での両国人民の「それなりの幸福」を詳述せねばなるまい。それを我が?誇るべき皇紀2600年とどの様に整合させられるのだろうか?
個別の記述の誤謬以前に、歴史観と言うに足る何者も無い、ただ我が事のみ善しの、神話にさえ無い迷信を、敢えて出現させた文科省の意図が、どこにあるかは言うまでもない。
歴史教科書を廻る問題は、こうした事実の虚実、記載非記載より以上に、「本質的な問題は、どう書かれているか、だ。」と教科書文法から、官僚文法に繋がる政治=統治の無責任体制への批判的視点を提出した、
南京虐殺は「おこった」のか―高校歴史教科書への言語学的批判
ISBN:4480857621
161p 19cm(B6)
筑摩書房 (1998-11-25出版)
・バーナード,クリストファ【著】〈Barnard,Christopher〉・加地 永都子【訳】
[B6 判] NDC分類:210.7 販売価:\2,415(税込) (本体価:\2,300)
歴史教科書論争への新しい視点。
本質的な問題は、どう書かれているか、だ。
「意味の文法」をツールに、南京虐殺・太平洋戦争開戦・降伏をめぐる全高校歴史教科書の文章を言語学的に分析し、その偏向性を立証する。
画期的な批判。
第1章 序論
第2章 南京虐殺
第3章 ドイツの攻撃と日本の攻撃
第4章 イタリア、ドイツ、日本の降伏
第5章 結論
の解明した点にこそより深い根を持っている。
是非ご一読を勧めます。


