平成の大合併(弊)?を自ら望んだ小規模自治体など無い、その先には周辺集落の崩壊、消滅しか無いのは誰もが知っている事だから。
国鉄解体と、三公社五現業の縮減、企業化は農山村で兼業者の収入源とした安定したものであり、それが就労機会が少ない地域を辛うじて支える基盤でもあったのに、中曽根の社会党解体の目論見で、消滅させられた。
そして今進むのはその再現だろう。自治体合併と「行革推進法」による地方勤務の公務員に安定した処遇を与える必要は無い、その路線を一層進行させるだろう。今国会の最重要法案の意味はそこにある。
もう、極言すれば地方は要らない、それが小泉改革の本質だ。
そうして、自然自治体を基盤とした日本と言う社会は消滅する。
残るのは大規模都市圏の、不定形の生活に根ざす人間関係の総和としての社会、そうしたものをもはや持てない、砂粒化したバラバラの個人の集団。
唯一の統合軸は、情報も含めた商品消費、それがもう日本のかなりの部分を覆っている。
それを国家の編み目の細かい統制によって統合し、管理しよう、それが盗聴法、住基ネットそして今進行する共謀法、教育基本法改訂、等々の施策だろう。
そうした路線の主導者達の意図を最大限好意的に理解するなら、「そうしないと社会がバラバラになる」なのだろうが、それこそが改革改革と騒いだ連中が少し前に良く口にした「日本は社会主義・・」をなぞれば、市場主義計画統制社会と言う、時代遅れの非人間的な境遇に我々を連れ込む事なのだ。


