光市母子殺害事件、秋田男児殺害事件。
もうマスコミは、過去の出来事として、興味は奈良の民家焼失事件移っている。
取材陣も秋田から奈良へ大移動のことだろう。
どれ程大きく派手に取り上げようと、所詮そうした事なのだ。
被害者の心の痛みへの共感、そうは言っても、より注目を集めやすい新鮮な?ニュースがあれば、そうした正論は忘却の淵に沈める。
そんな報道に沿っただけの、どのような論議も全く意味はない。
奈良の事件では、日テレはもうニュースで、行方不明の少年の小学校の卒業文集を晒し物にしている。今日はもっと許し難い「報道」がまた平然とされることだろう。
少年の行方が判り、放火の事実も認めたと各社報道、金曜以降これまでの凶悪事件糾弾はどこえやら、「検証「告白」「追求」だ。
提供者の行為も信じがたいが、報道被害などと口にしながら、また同じ愚を繰り返す、この局の姿勢も許し難い。
今度は「幸福なエリート一家の中に隠されていた心の闇・・」等と、騒ぎ立てる積もりなのだろう。
刑事事件は匿名で、当事者の個人的事柄、事件への関連が明らかでない限り触れない、伝えない。こうした原則が確立されなくてはならない。
視聴率の為でしかない事件「報道」と、関係者の人権の侵害には、誰もがもううんざりしているのだ。


