2006年09月01日

福岡、追突事故 逸らされる問題点

 昨27日の福岡追突事故事故、その痛ましい結果ももう消費し尽くされて、忘却の淵。
 地方公務員の低下した服務規律、そんな所に矮小化されて終わってしまった。
 今日たまたま通った、「日本名門酒会」の看板を掲げた酒屋は、以前は明るかった照明も半ば消え、知らぬ人には店の存在すら気づかれぬ迄に変わっていた、この十年ほどで。
 今日から、酒販売は完全に自由化された。 被害者の失ったものの大きさ、加害者のそれ(父親が謝罪会見をしていた、望んでの事か?)。
 飲酒者は多い、多分現在は喫煙者より。
 テレビのコマーシャルのかなりを占める、そして自動車も。
 加害者の責任の大きさは言うまでも無いのだが、警察官でも非番時には間違いなく飲酒運転をしている、時に勤務中にも。
 この飲酒に「寛容」な社会、半ば公然の昼間の飲酒運転を知らない誰があるだろう?
 今なら大半の子供は中学生位で、飲酒経験を持つだろう、しかしアルコール依存症の深刻さを知るのは、本人か家族がそこに至る迄は無いだろう。
 そして自動車、各社合計すれば売上高は、国の歳入総額にも迫る。
 人は行き着く所弱いものだ、個人の決意で収まらぬ場合があるのは、ある年齢を過ぎれば誰もが理解する。
 そこに可能な限りは逸脱に踏み込まぬ制度を、用意するのが社会の責任では無いだろうか。
 飲酒運転の徹底的な規制、酒販売の抑制、教育課程での酒害の周知、そして自動車から公共交通への転換、一見間遠に思われるだろうが、これは喫緊の課題であり、悲劇再発のかなり有力な手法なのだ。
 悲しいかな、持続可能経済成長を目指す?日本社会の容れる所では無いだろうが。
posted by じゅん at 22:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 事故 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
福岡の事故の件では、どこかのテレビで、高知の橋本知事の決定の件が報じられていました。アルコール販売の規制も緩和され、コンビニは新規に販売許可を求めるとか。アル中を道徳、意思の問題にすり替えて事足れりとする社会政策とは何ぞや、と思います。
Posted by nori_px at 2006年09月02日 09:46
半世紀程前なら、日常的飲酒習慣も、自動車も一般的ではなかった。
低くした敷居がもたらしたもの、個人の責任とは別に、考えるべきですね。
Posted by じゅん at 2006年09月02日 11:42
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