2006年09月04日

エホバの証人

 昨日知人の所を尋ねると、丁度エホバの証人の人達が帰るのとすれ違った。
 週末の彼らの「奉仕」だ。
 そこで最初にそのことを口にすると、来訪を受ける殆どが口にする「何度でも繰り返し来て・・」と。
  続けて「それを夫に話すと、あんた達のやってる友の会(月刊・婦人の友の会)も同じだろうが、と言われちゃって、そう言えばね〜」。 本人にとってどれ程意義があり、社会性を持つ、そうした活動でも、それと少しでも距離の在る立場からすればそうみえる。
 これはとても大事な事なのだ。
 少し前、短く走り書きしたここ社会的政治的発言を続けていると、ともすれば陥りがちな、動かざる人々(に見える)への焦燥から、つい口に出がちな決めつけ、それが実は逆方向からも成り立ちうる理解で、そこからものを見、口を開くなら、思いとは裏腹にどのような現実を動かす力も持ち得ない、その事の気づきだからだ。
 ブログで政治的社会的発言をするのも、趣味道楽のうち、その位に力を抜けば、言葉はより意味を持ち、嫌がらせのコメントに「言論の自由・・」がある度に深刻に悩む必要も無くなろうと言うものだ。
 それは通りがかりの捨て台詞、女性へのあらゆる意味での蔑視、嫌がらせ、そうしたものと同断だ。
 五月蠅ければ払いのけ、ブログも執着せずに時に閉じ、所を変えてまた・・
 ブログが生活の部分に確かな存在として組み込まれている、そうした人も少なくないこの頃だからこそ、方の力を抜いて。
 ただ誰であれ孤立は厳しい、その意味で嫌がらせが集中するような場合、そこへ応援のコメントを、そんなことをするMLなどはどうなのだろうか?と考えたりもする。
posted by じゅん at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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