2006年09月04日

ナショナリズム

 今日船長は、国境侵犯、密漁で起訴された。現状の両国のありようからすれば、この事に非はない。感情論がどうであれ。
 警察権の過剰行使、問題はそこにある、いやそこにしか無い。
 漁船銃撃事件に関する言論は明らかに常軌を逸している。
 ある将来を期待する方のブログで、日本人がロシア船に銃撃され、死亡。
 これが国益で無くて何が!そんな部分を眼にし、穏やかに意図の伝わるようにとしてみたのだが、気づかれない。目指す方向はかなり重なるのだが。  
 そう、北方領土。
 ではとうに返還された硫黄島、何故元住民の帰還は出来ないのだろうか?
 二島、四島にしろその暁に、旧住民は。そして現在居住するロシア人は。
  国益論を是とするとしてさえ、この点になんの具体性のない返還論など、ナショナリズムの鞴でしかない、そこにかなりの人々が落ち込んでしまっている。
 米太平洋艦隊艦隊撃破、プリンスオブウエールズ、レパルス撃沈に歓呼した大日本帝国とどれ程の距離があるだろう。
 抽象化された国益論に跪いてはならない。それを超えれば後にどんな歯止めもありはしないのだ。
 どうして日本政府は今に至るも、銃撃に至り経緯を知りながら公表せず、一漁業者の死を領土返還の具に利用しようとするのか。
 沖縄の少女のむごたらしい殺害にさえ、基地の一寸の移動すら出来もしなかったのに。
 「北方領土」に戻ろう。まず確実にされるべきは、周辺海域の安全操業の確保、それを措いて何もない。
 そして、水産資源の持続利用の可能な漁業形態の確立ではないか。
 その先に、先住少数民族の権利回復、旧住民、現住ロシア人の処遇、それらを調整した、将来展望。これが現実主義と言うものだ。
 死はロシア官憲がではなく、(国家)権力による犯罪被疑者であっても、非武装無抵抗の個人への覆しがたい人権侵害、この点からのみ非難されるべきなのだ。
 この観点を少しでも外れるなら、それは報復の連鎖にしか繋がらない。
 パレスチナの現在を考えるならそれは容易に理解できよう。
 イスラエル側からすれば、無許可の越境者は常に「テロリスト」でしかなく、殺害に何の躊躇も無いのだ、さらに先制して越境攻撃さえ当然とされている。
 パレスチナ側からすれば、イスラエル(シオニスト)は圧倒的な武力で領土を奪った侵略者となる(これが問題の本質ではあるが)。
 この構図を当て嵌め、無責任な「愛国者」の奪還まで言えば何が起きるのか?無論その強制力は将来的にもあり得はしないからこそ、言論として暴走し、ナショナリズムの火だねとして重宝されるのだ。
 パレスチナ問題に、日本政府そして世界世論はどのように回答をしているだろうか?
 まず現状の固定、相互不可侵その上での双方の対話、そうしたものでは無かろうか。それを「我が領土問題」にあてはめるなら、おのずと出る答えは一つだ。
posted by じゅん at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 国内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック