テレビもけたたましく、逮捕者をあげつらう。
せいぜい身内から、錆びのはげ落ちぬよう気をつける事だ(笑)。
と意地悪はともかく、「情報」に基づいて正しく?判断するなら、激増は間違いなく思えるだろう。
しかしうたぐり深い人間なら、その性格の悪さから、実は増加は情報量であって、件数そのものではない。ベタ記事が見出し付きに、地域面から社会面に、ローカルニュースか全国ニュースへと、連日の取り締まりにもめげず、堅い信念から敢然と走る飲酒運転者を、励ますべく扱いを変えたに過ぎないのにきづくだろう。
過剰な情報氾濫が、実態と異なる認識を、社会に印象付ける、「世論」形成の典型だ。 それは誰だかのひそかな指示などではなく、おそらくは商品としての、情報の販売競走によるのだが、全てか面白いか否で順位付けされ、飲酒運転報道に見られように、社会が問題の本質を問い直すのを大きく妨げている。
それをただすべく望まれる、新聞雑誌とテレビの相互牽制は、メディアの系列化が加速した結果からの離脱なので、資本の論理からすればあり難いが、地上デジタル化であらわるだろう、マスコミ再編での巨大系列化失敗として顕れるのでは?そこに注目しているのだが。