2006年09月26日

奈良女児殺害事件 死刑判決

 最近の重罰化傾向からすれば、驚くものではない。 その当否と別に、今日溢れるだろう、事件の詳細をわざとなぞる、ポルノまがいの死刑賛成の声にうんざりする。
多くが自らネトウヨ?と奇妙な名乗りを上げる手合いなのを、記憶しておこう。 こうした事件については呆れるほどの情報が流れる。
 しかし大半は、極刑死刑と繰り返すのみで、被害者関係者の悲しみ苦しみに共感すると言いながら、その実ご遺族の痛みを癒やそうとする歩みを、妨げる類のものばかりだ。
 それに、いわれない弁護士批判が間違いなく付属する。
 そうしたことを百万遍繰り返しても何も変わることなど無い。
 今回は再犯者、むしろそこに着目し、何故再犯者が発生するのか、それを低減させる努力は為されているのか、そうした点を論議すべきなのだ。
 現在刑務所は、定員超過収容、それは良く知られている。がそのかなりが覚醒剤関連なのは、知られていない。そして矯正施設と言いながら、薬物離脱プログラムなど無いに等しい事も。
 法務省が終始手を拱いているとは言えないが、刑務所の実体は、有用な多数の自主講座を有する、犯罪者の大学であるのは、関係者周知の事実だ。
 再犯累犯者には、殆ど矯正の効果がない、それが重罰化以前に改められるべき点なのだ。
 WEB上で、残虐事件の詳細を書き散らす、心ない輩は、それが社会規範に外れるのを承知でする。
 それと共通する構造だ。
 それをしにくい仕組みと、向かわない人間形成、社会構築、双方が必要なのだ。
 報復だ殺せ!そうした言葉の氾濫が何に資するだろうか。
posted by じゅん at 12:54| Comment(2) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この手の犯罪は、懲罰よりは、医学的治療が必要だろう、と思います。判決要旨をちらりと見ましたが、累犯を問題にしているようですが、それは教育刑主義が機能しなかったことの証明でもあるわけで、行刑機能の見直しこそ、必要でしょう。
Posted by nori_px at 2006年09月27日 03:19
被害者、家族の感情・・を一時もてあそがだけ。加害者の人権にのみ注目された時と主役が入れ替わっただけ。それで良いのか?なのですが。
Posted by じゅん at 2006年09月28日 04:38
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

更正も沈静ももたらさない司法
Excerpt: ■まずは、先日の死刑判決の報道を朝日新聞から。笑う被告、涙の両親 奈良女児殺害判決2006年09月26日13時10分 判決が言い渡された瞬間、法廷は一瞬静まり返った。奈良市で04年11月に起きた有山楓..
Weblog: タカマサのきまぐれ時評
Tracked: 2006-09-30 22:14