2006年09月30日

道州制*地上デジタル

昨日ある衛星デジタルラジオが、送信が途切れがちで、事業者に連絡がつかない、そんな報道があったが。
 テレビでも、地上波より意欲的な番組の稀にはあるが、その内容の薄さは哀しいばかりだ。 
テレビの地上デジタル放送が、大都市以外でも開始されている。
 そのコマーシャルが流れるが、その目玉が何とワンセグ(変換しなかった)。
 携帯でデジタルTVが見られる!と言うのだが、携帯キャリアのパンフレットで見ると「簡易動画」。
 何とこんなものが目玉なのだ。
 衛星デジタル開始の時に、大騒ぎした双方向性を生かした多様なサービスは何処へいったのだろうか。 多チャンネルなら現在の衛星放送、ケーブルテレビで充分足りている。
 どころか、「チャンネル桜」とかの、極右ファシスト扇動局すらある。
 増えすぎたチャンネルを埋める内容が無いのだ、全国きぼとしてさえ、ましてそれが人口経済共に、受け皿の小さい、県レベルで可能だろうか。
 山間部、離島にまで送信が出来るのだろうか。
 地方では、その為の設備投資で、資産売却でまかなう企業さえ少なくない。
 遠からずローカル局の整理淘汰が始まるだろう。
 現状は、乱売の品質低下競争としか言えない、視聴率稼ぎに邁進する民間放送だが、それでも少数への集約は、間違いなく多様な言論の機会を制約する。
 民法ローカル局の大半には、地方紙(普通県紙のように言う)が資本参加、或いは支配している。それが足かせで、地方の独自の問題についても、親局を通じた国家権力の間接介入で、警察裏金問題のように、徹底した追求をしにくくしている。
 予想するように、集約が進めばある意味逆の現象として、放送から脱落した新聞が、より自由な言論に向かう、そうした例外も有家はするだろうが。
 現在でさえ多チャンネル化は、情報の氾濫で受け手の側の限度を超えたものになっている。
 要するに時間が無いのだ、だれが今以上に増える情報の受け手になるというのか?
 視聴者の立場からすれば、全く意味の感じられない、地上デジタル。
 多分経済的に成立する圏域は、別の流れの中で言われる道州が単位、それ以下では無いだろう。
 岐阜、福島(事情はここ)、広島と県庁絡みの事件の摘発が連続する。
 「平成の大合併」で住民の政治参加の機会は、実質的に大幅に制限された。
この数年公務員の犯罪は大幅に増加!!(定量的報道は無い)した。
 現在の地方自治の制度に誤り、問題(個人の資質、高賃金??)が存在する、そうした雰囲気が生まれやすい報道が切れ目無く続く。
 無論こう関連づけるのは印象論で、明確な根拠、証拠までは示せないのだが、何故その疑問が浮かぶほどにあふれている。
 統合しやすい、少数の大規模自治体を、同じく少数のメディアで誘導する、そうした方向付けが、何処かで意図されている、どうもそう考えられてならないのだ。
posted by じゅん at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 国内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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