「自存自衛のため余儀なく開戦した大東亜戦争は、不幸にも痛恨の敗戦を迎えた。」
上は両氏の歴史観と言って誤りはないだろう。
これを日常の出来事の中で良く耳にする言葉に翻訳(笑)してみよう。
「いじめられたんで、喧嘩したら負けちゃった、悔し〜〜」
これが日本人だけに限っても200万以上の、死者を数える戦争の理解だ。
敗戦直前のソビエト侵攻の非は百万遍も繰り返すが、その自存自衛のために、日曜の早朝に、だまし討ちをかけたPearl Harbor攻撃は必死で擁護する。
最後通牒の手交の遅れは翻訳の遅延のためと、定刻が守れても反撃の機械を与えねばこその奇襲であることは、何故か無視して。
南京では「虐殺」しか無かったので、「大虐殺」の非難は不当だと。
確かに事実の最初の自己認識とした、こうした見方が出発点になるのは認められなくはない。
幼児が保護者によく泣きじゃくりながら訴える事だ。
しかしこの認識に浸り続けて、対他(国)との関係を築けるだろうか?
悪いのはあの子、ぼくは間違ってない。
子供の成長を図るには、その自己中心的な、ある意味自我が形成しかかっている段階を、個は他者との関係で存在し、常にその意味づけを問い直さなくてはならない事を、教えてやらねばならない。
この両氏は大学の教職に就いているようだが、教育者が幼児同然の人間理解、社会観しか持ち合わせない大学とは、初等教育機関なのだろうか?
どちらかの教え子の中には、愛とは放縦の同義語と理解するむきもあるのだから、納得も出来なくは無いが。
投稿時ジャンルの指定があるので「ギャグ・ユーモア」とした。



早速ですが、もしかしたら「八木勝次」は「八木秀次」ではないでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E7%A7%80%E6%AC%A1_(%E6%B3%95%E5%AD%A6%E8%80%85)
なお、このコメントは表示されないでください・・・。