東京オリンピックの頃には、殆ど見かける事の無くなった傷痍軍人。
彼らに、まだ
アジア太平洋戦争の記憶の生々しい時期の日本社会は、どんな眼差しを向けていたのか?
そうたいした記憶は無いのだが、眼差しは実に冷たかった、そんな印象しか無い。
軍歌「戦友」を
アコーディオン、ハモニカで奏で歌い、その前を殆どの人は、目をそらし、また存在しないかのように行き交っていた。
「あの人達は、国からお金を沢山貰っているんだよ」
「傷痍軍人の親分がいて、衣装や道具を借りて出てくるんだって、親分の家は、お屋敷だそうだよ」
「松葉杖を置いて歩けない振りをしているけど、夕方には歩いて帰るのを見た」
そんな心ない「都市伝説」をいつ何処で誰がの記憶は無いが、多く耳にした。
丁度、身体障害者福祉法(昭和24・12・26・法律283号)がやっと障害者への補装具の給付を制度化した頃。
健康保険さえほんの一部のものでしか無かった、そんな時代。
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