2007年04月22日

沖縄戦集団自決「軍命令」を修正の誤り

文科省の主張は、

 座間味島の守備隊長だった元少佐らが17年に大江氏らを大阪地裁に提訴。文科省はこの訴訟での元少佐の陳述書が検定方針変更の大きな要因としている。

これを根拠とし、政府の国会答弁もそれをなぞっている。
 沖縄戦で、「集団自決」した」住民がどれ程かの正確な記録は無い、だが現在でもその記憶、近親者の体験談、から一、二例などでは無いのは間違いない。

 
 

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posted by じゅん at 12:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

自虐史観

安倍政権の、非公式公認歴史観(笑)。昨日の国会では、沖縄戦で軍当局が集団自決を強要してはいない、とする一将校の訴訟を根拠にした、検定意見=修正を擁護した。  沖縄の大地も、住民を守れなかった、守ろうとしなかった旧日本軍、政府に誤りは無かった。そう歴史教科書に書き込ませた。 従軍慰安婦について、軍の関与を示す証拠は見つからなかった(焼き捨ててしまっているので)、とニンマリ。 その以前彼等は、南京大虐殺を、中虐殺に縮小出来たと思いこんで、成功に酔っている&#F9FC;&#F9FC;&#F9FC;。 自虐主義史観の仕切屋は、藤岡信勝・元東大教授、は共産党からの脱落者。 大日本帝国、旧日本軍は日本を、破滅させた。この事実を率直に認めず、もう一度アジア、世界で孤立したい&#F9FC;&#F9FC;、それを今一度??それが彼等の希望だ。 彼等は自由主義史観などと、名乗るがそれこそがまさに、自虐史観(^_-)-☆&#v[FR];3

posted by じゅん at 09:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

新軍人恩給

 昨日の毎日は、「旧日本軍の「軍人恩給」に準じた新たな恩給制度の創設の検討を極秘に進めていること が9日、分かった」ここと伝えた。
 さあ、若者よ「美しい国」の為に安心して散華せよ、とでも言うつもりだろうか。
 スクープとはこういうものを言うのだろう。続きを読む
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2006年08月27日

従軍慰安婦と特殊慰安施設協会

 特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association、略称、RAA)は、占領(進駐)米軍の強姦からの「性の防波堤」として東京では警視庁の音頭とりで八月二六日、設立された。結成式は皇居前で行われ「『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持培養すると共に、戦後社会秩序の根本に、見えざる地下の柱たらんとす」などとの声明が読まれ「小町園」が八月二八日、東京大森に開かれた。
 この発想が、米兵による性暴力被害者の公開書簡に「軍隊があるから平和が保たれているという一面が抜け落ちている」と町村外相発言 2005.7が今に至るも露呈している、日本政府のありかたの出発点なのだ。
 米軍兵士の紛れもない犯罪行為に、即時身柄拘束、厳罰を政府関係者がこれまで一度でも表明したことがあったろうか?続きを読む
posted by じゅん at 13:30| Comment(5) | TrackBack(3) | 歴史・戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月23日

冬軍装の共産党員

 随分以前、漠然とだがこちらに来てから、出来れば農業で・・などと考えて、幾人かの人を訪ねては、話を聞いて回った事があった。
 元は10戸ほどの開拓集落(西日本では部落とは通常言わない、理由はおわかりになるでしょうが)で、会ったのは、満州から引き上げてと言う、もう一軒になったのに意気軒昂の、自分は右翼と言う老人だった。向こうも「こ奴!」とは思ったようだったが、幾度かお邪魔しては、今に至るいきさつなどを聞いた。
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posted by じゅん at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月22日

若い時 温かいところに

80半ばの知人と夏に話していた時、「若い時暖かいところで過ごしたので、夏はあまり苦にはならないんですよ・・」何時もと変わらぬ穏やか口から、よどみなく出たそんな言葉を聞いた事があった、
彼の徴兵された歩兵22連隊の兵士達は、満州、フィリピン、ニューギニア、ギルバート諸島などに送られたらしい。
一割にも満たぬ生還者。人柄を思うと、幹部候補生から、座金の少尉だったりはなさそうなのだが、何処を転戦し敗戦を迎えたのだろう。
アタタカイトコロ
posted by じゅん at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月20日

傷痍軍人に向いた眼差し

 東京オリンピックの頃には、殆ど見かける事の無くなった傷痍軍人。
 彼らに、まだアジア太平洋戦争の記憶の生々しい時期の日本社会は、どんな眼差しを向けていたのか?
 そうたいした記憶は無いのだが、眼差しは実に冷たかった、そんな印象しか無い。
 軍歌「戦友」をアコーディオン、ハモニカで奏で歌い、その前を殆どの人は、目をそらし、また存在しないかのように行き交っていた。
 「あの人達は、国からお金を沢山貰っているんだよ」
 「傷痍軍人の親分がいて、衣装や道具を借りて出てくるんだって、親分の家は、お屋敷だそうだよ」
「松葉杖を置いて歩けない振りをしているけど、夕方には歩いて帰るのを見た」
 そんな心ない「都市伝説」をいつ何処で誰がの記憶は無いが、多く耳にした。
 丁度、身体障害者福祉法(昭和24・12・26・法律283号)がやっと障害者への補装具の給付を制度化した頃。
 健康保険さえほんの一部のものでしか無かった、そんな時代。
 
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posted by じゅん at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月18日

軍恩連(軍恩連盟全国連合会)

 靖国参拝で騒ぎ立てたこの団体の本質は、これを読むだけで充分に納得出来るだろう。
 アジア太平洋戦争で、真に犠牲となった人々を盾に、一部の高位元軍官僚が自らの利権を守る団体でしか無いのだ。
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posted by じゅん at 09:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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